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 米国の巨大な年金基金の理事選挙で、ESG投資推進派の現職が、懐疑派の候補に敗れた。ESG投資の関係者は少なからず驚いたことだろう。この投票結果をどう理解すべきなのか。それはESG投資全体に対する反旗の表れなのか。それとも大きな流れの中に生じた小さな逆流に過ぎないのか。すでに公表されているいくつかの論考を基に、今回の理事選挙の結果が何を示唆するのか、その意味を紐解いていくことにしたい。

1.米国のESG投資への一撃

 カリフォルニア州公務員退職年金基金(California Public Employee Retirement System: CalPERS、カルパース)は、米国最大の公的年金である。ESG投資のリーダー的存在としても知られる。そのカルパースの理事選挙で、2018年10月4日、現職候補だったプリヤ・マサー(Priya Mathur)が対抗馬のジェイソン・ペレズ(Jason Perez)に敗れた。

 カルパースの理事会は非常勤の理事13名で構成され、州政府関係者4名、州知事等が指名する3名のほか、加入者代表6名が選挙で選ばれる。加入者代表の任期は4年で再任の制限はない。今回の理事選挙とは、この加入者代表の椅子を巡って行われたものである。マサーは、加入者代表のうち官公庁代表の枠で2003年から4期16年にわたり理事を務め、2018年1月からは理事長に就いていた。つまり今回の結果は、現職の理事長が理事の地位を失ったということである。

 マサーは、サンフランシスコの高速鉄道(Bay Area Rapid Transit: BART)を運営するベイエリア高速鉄道公社で財務アナリストとして資産運用を統括している。カルパースの理事として同基金のESG投資を推進し、PRIでも現在まで3期にわたって理事を務めてきた。対立候補となったペレズはこの点をとらえ、「彼女はESGを優先することで、基金の財産をリスクにさらした」と批判した。

 ペレズは他にも、マサーが以前に選挙キャンペーンで財務報告を怠って罰金を受けたことや、彼女の理事在任中に基金の積立率が108%から71%に下がったことなども批判した。そしてマサーの7,008票(43.22%)に対して、ペレズが9,208票(56.78%)を得て当選したのである。この選挙結果は米国のESG投資が曲がり角に来たことを意味するのだろうか。

 この点についてPRIのCEOのフィオナ・レイノルズ(Fiona Reynolds)はレスポンシブル・インベスター誌への寄稿の中で、ペレズの勝利に祝意を示した上で、次のように述べている ― 多くの選挙と同様、カリフォルニアの退職者の間にも様々な見方がある。気候変動から銃規制まで多くのESG課題に取り組むことを望む人も多い。カリフォルニア州自体も気候変動問題に最も先進的に取り組んでいる州の1つだ。同州が米国全体を代表しているわけではないが、世界で5番目に大きい経済圏でもある。米国で責任投資がどこまで進んだのかは、最近のフィナンシャルタイムズの記事に表れている。その中でブラックロックCEOのラリー・フィンク(Larry Fink)は、責任投資は投資家の利益を犠牲にするものではないと語っている。これは少なくとも5年前には米国の主流(メインストリーム)の投資家からは聞かれなかった言葉だ。過去数年で米国のPRI署名機関は約20から40以上に増えているし、この数か月でシカゴ市とイリノイ州も署名した(注1)。

 つまり米国でもESG投資はますます進展しているというのである。たしかに彼女の言う通りかもしれない。米国のESG投資の勢いが衰えたようには見えない。だが、それではなぜマサーは負けたのだろうか。

2.銃規制 - 背後にあった論点

 マイケル・ムーアが監督した「華氏119」という映画を観ただろうか。なぜトランプ大統領が登場したのかを問いながら、この数年間、米国で起きたいくつかの出来事を切り取ったドキュメンタリーである。2018年の米国の中間選挙に向けて作られた映画だが、日本でも同年秋に公開された。その中で、銃規制の強化を求めて全米の高校生がワシントンなど各地で行進するシーンがある。2018年2月、生徒と教職員合わせて17人が亡くなったフロリダ州パークランドの高校での銃乱射事件を受けたものだ。その高校に通っていて事件に巻き込まれ、九死に一生を得た女子生徒が聴衆に向けてスピーチする場面はとても印象深いのだが、同時に不思議でもある。ここまで悲惨な事件が続いているのに、なぜ実際に銃規制を強化しないのか?

 米国のNPO「Every Town for Gun Safety」のウェブサイトによると、全米で銃によって殺された人は年間で12,830人、毎日平均で35人が射殺されていることになる。自殺も含めると銃で亡くなる人は年間36,000人を超え、一日平均で100人となる。2016年6月にはフロリダ州オーランドのナイトクラブの乱射事件で犯人を含む50人が亡くなり、2017年10月にはネバダ州ラスベガスのカジノの乱射事件で59人が亡くなった。普通に考えれば銃所持を禁止する方がよほど合理的に思えるが、なぜ規制強化が進まないのか。憲法上の権利、治安維持に必要など、様々な意見があるようだが、規制の強化を押しとどめようとする力も相当強いらしい。そのような、銃規制に反対する人々の圧力は、日本にいるとなかなかわかりにくい。そしてこのことが今回のカルパースの理事選挙でも、隠れた争点だった可能性がある。

 当選したペレズはコロナ市警察に勤める警官で、コロナ警察官協会(Corona Police Officer’s Association)会長である。彼自身の立候補書類等には記載されていないが、レスポンシブル・インベスター誌の報道によれば、彼は全米ライフル協会(National Rifle Association: NRA)の上級メンバーでもあるという(注2)。NRAは銃規制の強化に反対する強力な圧力団体として知られる。一方、理事選挙と同じ年にカルパースの理事会では、銃販売店からのダイベストメントが議論されていた。

 カルパースはすでに、アサルトライフル(assault rifle)などの殺傷力が強く、カリフォルニア州では違法とされる銃の製造企業をダイベストメントしている。カリフォルニア州の財務長官で、カルパースの理事でもあるジョン・チアン(John Chiang)は、それらの銃を販売する小売店もダイベストメントするよう、理事会に提案した。対象にはウォルマートやクローガー(Kroger)などのスーパーマーケットが含まれる。カルパースの理事会は2018年3月に、乱射事件の被害者などを招いて証言を求めた。

 その際、ペレズもコロナ警察官協会会長として証言に立ち、ダイベストメントに反対の論陣を張った。ダイベストメントによって乱射事件が抑止できるわけではない、ダイベストメントは基金の利益を犠牲にする、投資意思決定は基金の利益だけを考えて行われるべきだ、などが彼の反対の理由だった。そしてチアン財務長官の提案は政治的なものだと批判した。他の理事は、別の理由からダイベストメントに反対した。売却するより、保有し続けてエンゲージメントする方が効果的だという理由である。投票の結果、賛成3票、反対9票で、理事会はダイベストメントの提案を否決した。マサーも反対票を投じた一人だった。

 この出来事が示唆するのは、「ESG投資」という言葉で人々が連想したのは銃の問題だったのではないか、ということである。銃規制に対する米国世論の鋭い対立を見ると、カルパースの理事選挙が銃規制推進派と反対派の対決に見えた可能性は否定できない。ESG投資が銃の問題と結びついたことが、今回の理事選挙の結果に影響したのではないだろうか。

 これには後日談があり、理事選挙後の2018年11月、カリフォルニアで再び悲劇が起きた。学生が集まる南カルフォルニアのバーで乱射事件があり、警官1人を含む12人が亡くなった。同月、カルパースやカリフォルニア州教職員退職年金基金(California State Teachers’ Retirement System: CalSTRS)を含む全米の13の機関投資家が「責任ある民間用銃器産業の原則」に合意し、銃器の製造・販売業者に求める5原則を発表した。

3.ESG投資は市民の心に響いているか

 ペレズは、マサーに対して次のような批判も展開している。「彼女は裕福な著名人として生活している。世界中を飛び回り、ロンドン証券取引所の鐘を鳴らし、国連関係者と交流することが自分の役割だと思っているようだ」と。「ロンドン証券取引所の鐘」というのは取引所の開始の合図のことである。2018年3月8日、国際女性デー(International Women’s Day)のセレモニーで彼女はこれを鳴らした(注3)。国連関係者とはPRIを意味する。彼女はPRIの理事会に出席し、各地のセミナーやシンポジウムでもESGについて発言してきた。これらのことが批判された。いわばエリートとみなされたということだろう。

 これに関連してレスポンシブル・インベスター誌が社説で興味深い指摘をしている。米国の大衆はウォールストリートを「強欲」と見ているのに、ESG投資は大衆の側ではなく、メインストリームの金融エリートと手を組んだ。「ESG」という用語は金融資本にとって聞こえのよいツールにはなったが、大衆にとって魅力的なものとは映っていない。ペレズの選挙キャンペンーンはその点に訴えかけ、反エリート・ムードを引き出したというのである(注4)。

 気候変動を心配し、銃による悲劇を防ごうとするESG投資がエリートとして批判され、投資利益の最大化だけを目指すべきと主張するペレズが支持を集める。彼は、自分は利己主義者だと公言し、自分たちの年金を守ろうと訴えた。まるでトランプが米国第一主義を掲げて当選した時の構図のようではないか。

 ムーアの映画「華氏119」にはもう1つ興味深いエピソードがある。民主党の予備選でバーニー・サンダースは公立大学の無償化や金融業界の規制を掲げ、ウォールストリートからの献金に支えられたヒラリー・クリントンを追い詰めた。だが、サンダースが得票数で上回った州でも特別代議員という特殊な制度によってクリントンが勝利し、彼女が大統領候補となった。サンダース支持者の多くは本選で投票する意欲を失い、クリントンを「ウォールストリートの代弁者」と批判したトランプが当選したというのである。マサーへの批判に似ていると思わないだろうか。

 社会に蓄積する不満が、金融エリートに対する反感につながっている。その根底にあるのは経済的不平等の拡大であろう。もちろんESG投資に関わる投資家は、経済的不平等を重要な社会課題と考えている。2018年9月に開かれたシンポジウム「PRI in Person」でも経済的不平等は主要な論点の1つとなったし、10月にはPRIが「なぜ、どのように投資家は経済的不平等に取り組むか」と題したレポートを公表した。ESG投資が本当に経済的不平等の解消をもたらすなら、それがメインストリーム化することは、本来、望ましいことのはずである。

 だが、ペレズの金融エリート批判は、実際にはそう思われていないことを示唆している。それは、実はESG投資への批判ではなく、ESG投資の力が足りていないことの表れなのではないか。PRIのレイノルズは、前述したレスポンシブル・インベスター誌への寄稿を次のように締めくくっている。「世界の至るところで目にする二極化から私たちが引き出せることが1つあるとすれば、それは、多くの人が自分は取り残されていると感じ、金融システムを含む社会のシステムは彼らの利益になっていないと信じているということだ」と。その通りだろう。カルパースの理事選挙の結果が問いかけるのは、PRI発足から10年を経て、いまだ二極化が進む世界の現実である。ESG投資がすべきことはまだ多い。
 

<注>
1) Fiona Reynolds, Is Responsible Investment going backwards in the US?(責任投資は米国で後退していくのか?)、2018年11月2日、Responsible Investor(2019年1月15日情報取得)

2)Daniel Brooksbank, Is CalPERS’ Jason Perez a turning point for ESG?(カルパースのジェイソン・ペレズはESGの転換点なのか?)、2018年10月9日、Responsible Investor(2019年1月15日情報取得)

3)CalPERS President Loses Her Board Seat(カルパース理事長が理事の椅子を失う)、2018年10月8日、Chief Investment Officer(2019年1月15日情報取得)

4)Jay Youngdahi, Op-Ed: CalPERS election earthquake should shake up responsible investment narrative(論説:カルパース理事選挙の激震は責任投資を巡る議論を揺らす)、2018年10月8日、Responsible Investor(2019年1月15日情報取得)
 


QUICK ESG研究所 特別研究員 水口 剛