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 「これはフードサプライチェーンの問題なのです」。デーム・サリー・デービス教授(Professor Dame Sally Davis)の言葉が耳に残った。2018年6月、今年もロンドンで「RIヨーロッパ」が開かれた。欧州を中心に700人以上の責任投資関係者が集まったそのシンポジウムの初日、全体セッションに招かれたイングランドの最高医療責任者(Chief Medical Officer)で英国保健省のアドバイザーを務める同教授は、薬剤耐性菌のリスクがいかに深刻であるかを語った。そしてそれは食品産業と密接に関わる重要なESG課題でもある。欧州の投資家が注目し始めた畜産と薬剤耐性菌の問題に目を向けてみよう。

1.薬剤耐性菌の恐怖

 もし抗生物質(注1)が効かなくなったら、どんなことが起きるだろうか。はじめは、気をつけていないと見過ごされてしまうほどの小さな変化かもしれない。たとえば病気の治りが遅くなる。それまで抗生物質を飲めば3日で治っていた感染症がなかなか治らない。治癒に6日かかるようになり、10日かかるようになり、やがて患者が急増し始める。そのとき初めて耐性菌の発生に気づくことになる。日本でもすでに、結核菌や緑膿菌の多剤耐性菌による院内感染の事例は何度も報道されている。

 人類は抗生物質を発見したことで感染症を克服してきた。もし広範囲の抗生物質が効力を失えば、抗生物質がなかった時代への逆戻りとなりかねない。その危険についてデービス教授は、「近代医療の終焉」という強い表現を用いて警鐘を鳴らしてきた。それはごく一般的な感染症や小さな傷口から入った細菌によっても人が亡くなりかねない社会である。デービス教授によれば、感染症に有効に対処できないということは、帝王切開や人口股関節の手術などの近代的な外科手術がきわめて危険なものになるということだ。癌の治療も難しくなるし、移植手術は過去のものになるという。

 抗生物質を使っていれば、いずれ耐性菌が発生すること自体は避けられない。遺伝子の複製ミスによって耐性を獲得する細菌等が一定の確率で生まれ、抗生物質によって正常な細菌が死滅することで、増殖の余地を得るというメカニズムが働くからである。問題は、抗生物質の使い過ぎと不必要な利用によって、耐性菌の発生が加速し、新たな抗生物質の開発が追い付かなくなることである。抗生物質の不用意な使用や過剰使用を抑制して、耐性菌の発生を適切にコントロールする対策が必要なのである。

 世界保健機関(World Health Organization: WHO)は、各国における薬剤耐性菌に関する監視状況を調査して、2014年に調査報告書(注2)を公表した。それによると、各国の薬剤耐性に関する調査は相互に調整も標準化もされておらず、現状を評価する能力は制約されているが、それにも関わらず、通常の細菌の耐性は世界の至るところで憂慮すべきレベルに達しており、一般の感染症に対する利用可能な選択肢の多くが有効でなくなりつつあることがわかったという。

 また、英国政府は政府から独立した研究プロジェクトとして「薬剤耐性に関するレビュー(Review on Antimicrobial Resistance)」を立ち上げ、専門家に検討を依頼した。2016年5月に公表されたその最終報告書(注3)では、現在、すでに年間70万人が薬剤耐性菌のために亡くなっており、有効な施策がとられなければ2050年には死者は毎年1千万人に達すると推計している。この数は、現在の癌による死亡者数より多いという。薬剤耐性はすでに重要な社会課題であるが、対策が遅れれば、近い将来、気候変動に匹敵する大問題にもなりかねない。

2.抗生物質の7割は畜産動物への使用

 以上のような状況を踏まえ、WHOは2015年に「薬剤耐性に関するグローバルアクションプラン」を採択した。そこでは次の5項目の戦略的目標を掲げている。

①    効果的なコミュニケーション、教育、トレーニングを通じて薬剤耐性に関する知識と理解を深める

②    動向の調査と研究を通じて知識と根拠を強化する

③    効果的な下水道、衛生状態の改善、感染防止策を通じて感染症の発生を抑制する

④    人間及び動物への抗微生物薬の使用を最適化する

⑤    全ての国の必要を考慮した継続的な投資の成功事例を構築し、新薬、診断手段、ワクチン、その他の治療方法に対する投資を増やす

 そしてWHOの加盟国には2年以内に国別のアクションプランを策定することを求めた。これを受けて日本では、政府内に「国際的に脅威となる感染症対策関係閣僚会議」が設けられ、2016年4月に日本のアクションプランとなる「薬剤耐性(AMR)対策アクションプラン」が策定された。その内容はWHOの戦略的目標をほぼ踏襲したものであり、6番目に国際協力が付け加わった。

 ここで注目したいのは、どちらのアクションプランでも頻繁に動物や農業への言及があることである。たとえば日本のアクションプランの戦略2.3は「畜水産、獣医療等における動向調査・監視の強化」、戦略3.2は「畜水産、獣医療、食品加工・流通過程における感染予防・管理の推進」、戦略4.2は「畜水産、獣医療等における動物用抗菌性物質の慎重な使用の徹底」となっている。薬剤耐性の問題は医療現場だけの問題ではない、ということである。

 先に引用した英国の「薬剤耐性に関するレビュー」の報告書によれば、米国では人間の治療上重要と定義された抗生物質のうち、重量ベースで70%以上が動物への利用目的で販売されている。また、欧州の投資家のイニシアティブである「畜産動物投資リスク・リターン(Farm Animal Investment Risk and Return: FAIRR)」の2016年の報告書(注4)は、英国で約40%、米国では80%の抗生物質が畜産動物に使われているとの推計を示している。他の多くの国でも人間より畜産に多くの抗生物質を使っていると思われるが、そもそも情報のない国も多いという。

 しかも、畜産での抗生物質の利用の多くは、罹患後の治療目的ではなく、感染症の予防や成長促進剤としての利用である。FAIRRの報告書によれば、今日の集約的な、いわゆる工場的畜産を支えているのが、このような非治療目的での抗生物質の日常的な投与であるという。動物の福祉の観点から批判されることの多い工場的畜産ほど、ストレスの予防や成長促進目的での抗生物質の過剰利用を生みやすいのである。そして、こうした畜産における抗生物質の大量の利用が薬剤耐性の発生を加速すると懸念されている。それは畜産農家だけの問題ではなく、畜産をサプライチェーンにもつ食品産業や小売業、外食産業の問題であり、それらの企業に投資する投資家にとってもリスクなのではないか。これが、RIヨーロッパという投資家たちの集まりに英国のチーフ・メディカル・オフィサーという、一見、投資と無関係な専門家が招かれた理由でもある。

3.高まる機関投資家の関心

 FAIRRの2016年の報告書は、抗生物質を予防的に利用する畜産にはさまざまなリスクがあることを指摘している。たとえば規制リスクがある。EUや米国では抗生物質の予防的利用に対する規制は強まる傾向にあり、将来的には禁止されるかもしれないという。それは、密集した飼育を行う施設では病気が蔓延することで損失が生じるリスクにつながる。過密な飼育環境の問題を抗生物質の予防的投与で抑えている施設ほどリスクが高く、集約的・工場的でない畜産が抗生物質への依存を抑える方法として認識されてきたという。また、消費者と接する企業は評判リスクにも直面する。抗生物質への対応が遅れているという印象を持たれれば、売上に影響しかねないというのである。

 このような観点からFAIRRは、マクドナルドやドミノピザなど欧米の代表的なファストフードチェーンや外食チェーン10社を選んで、グローバルサプライチェーンでの抗生物質の予防的利用を禁じる方針があるかどうかを調査した。その結果、完全に包括的で公開された方針を持つ企業はなく、マクドナルドなど5社が部分的な方針を持っていた。ドミノピザなど残りの5社に関しては、サプライチェーンにおける抗生物質の利用を管理し、最小化する戦略を投資家に明確に伝えていないと結論づけている。これを受けて、1.5兆ドルの運用資産を有する投資家のグループがエンゲージメントを始めたとも記されている。

 一方、英国の「薬剤耐性に関するレビュー」報告書は、薬剤耐性がもたらす経済的影響を試算している。それによると、もし有効な対策がとられなければ、経済的な損失は2050年までの累計で100兆ドルに達するという。それは社会の誰かが負担する社会コストなので、最終的には何らかの形で経済全体に降りかかってくる。その意味でこれは、市場全体を投資対象とするユニバーサルオーナーにとっての問題でもある。

 薬剤耐性のリスクが高い工場的畜産は、畜産動物の福祉という問題と裏腹の関係にある。英国で動物の福祉に取り組む2つのNGOが2012年に立ち上げた「畜産動物の福祉に関するビジネス・ベンチマーク(Business Benchmark on Farm Animal Welfare: BBFAW)」と題するプログラムは、毎年、食品関連企業のランキングを発表してきた。2018年2月に公表された2017年版の報告書(注5)では、世界の食品関連小売業40社、食品製造業40社、外食産業30社の合計110社が対象になった。地域的には、欧州企業60社、米国企業34社と欧米企業中心だが、日本企業も初めて2社が評価対象とされた。

 評価基準は、①経営陣のコミットメントと方針、②ガバナンスとマネジメント、③リーダーシップとイノベーション、④成果の報告とインパクトという4つの分野に分かれ、34項目からなる。対象企業を項目ごとに評価して評点をつけ、合計点数に応じて「リーダーシップ」から「課題として認識されていない」まで6段階にランク付けしている。報告書によれば、調査対象となった110社中79社が公式の改善目標を掲げ、52社が明示的に担当役員を置いているという。しかし、公開情報に基づく評価のせいか、今回初めて対象になったイオングループとセブン&アイ・ホールディングスはともに最下位のランキングであった。

 BBFAWは欧米の機関投資家とも連携しており、下に示す投資家声明を公表している。この声明文にはアビバ・インベスターズやBNPパリバ、ロベコ、コラー・キャピタルなど、2018年4月時点で1.8兆ポンドの資産を有する23の投資家が署名している。日本ではまだ薬剤耐性とフードサプライチェーンの問題に着目する投資家は少ないが、今後は重要なESG課題として認識する必要があるのではないだろうか。

 

(注1) 抗生物質(antibiotics)とは微生物由来で細菌の発育や増殖を阻害する物質を言い、化学的に合成した合成抗菌剤と合わせて抗菌剤(又は抗菌薬)と呼ばれる。ウイルスや真菌などの細菌以外の微生物を原因とする感染症に対しては抗ウイルス剤や抗真菌剤があり、抗生物質も含めたそれらの総称が抗微生物薬(antimicrobials)である。薬剤耐性(antimicrobial resistance: AMR)とは、厳密に言えば抗微生物薬全般に対する耐性を意味し、抗生物質に対する耐性(antibiotic resistance: ABR)はその一部であるが、実際には畜産における問題の焦点は抗生物質の過剰使用であり、一般にもなじみのある用語であることから、本稿では抗生物質という用語を用いている。

(注2)World Health Organization(2014), Antimicrobial Resistance – Global Report on Surveillance.

(注3)The Review on Antimicrobial Resistance(2016), Tackling Drug-Resistant Infections Globally: Final Report and Recommendations.

(注4)FAIRR and ShareAction(2016), Investor Report: The Restaurant Sector and Antibiotic Risk.

(注5)BBFAW(2018), The Business Benchmark on Farm Animal Welfare 2017 Report.

 

表 畜産動物の福祉に関する投資家声明

長期的な価値創造のためには、企業が直面する幅広いビジネス上のリスクと機会を十分に考慮し、適切な行動をとることが求められる。我々は、伝統的な財務的リスクや機会と並んで、環境、社会、ガバナンス(ESG)に関わる課題が企業の財務パフォーマンスにとって潜在的に重要であると認識している。したがって我々は、企業がそれらの課題を効果的に管理していることを示すよう期待している。

畜産動物の福祉は、小売、食品加工、食品サービス、接客業を含む食品セクターの企業とサプライヤーにとって重要な課題である。規制、ラベルの要求、消費者の懸念、メディアによる報道、新たな事業機会はいずれも行動を促す重要な原動力となる。近年では、食料不安、動物の虐待の事件、食品の安全に関連する健康リスクへの懸念から、食品企業が食品の原産地、追跡可能性、品質などの問題により注目するようになり、サプライチェーンの管理についてより透明性を高めるようになった。

投資家として我々は、投資先企業が畜産動物の福祉に関連するリスクと機会を十分に考慮し、その課題に取り組む効果的な方針とプロセスがあることの保証を求めている。畜産動物の福祉に関する企業の活動と実績の分析は、それらの企業の経営品質とリスクマネジメントのプロセスの質に関する貴重な洞察を提供する。

この声明に加わることで、我々は以下のことに同意する。

  • 我々は、畜産動物の福祉の問題は食品セクターにおける長期的な投資価値創造にとって潜在的に重要であり、食品セクターの企業の戦略的ポジショニングを評価する上で重要な考慮事項であると信じている。
  • 我々は、食品企業には、自社及びサプライチェーンにおける畜産動物の福祉の水準を引き上げる上で果たすべき重要な役割があると信じている。
  • 我々は、「畜産動物の福祉に関するビジネス・ベンチマーク」の開発を歓迎する。我々はこれを、畜産動物の福祉に関する企業の方針、活動、実績の評価に使える、信頼でき、透明性があり、独立したツールとして見ている。我々はまたこれを、食品セクターを通じて畜産動物の福祉に関するより良い報告を促進するための重要なツールとしても見ている。
  • 我々は、「畜産動物の福祉に関するビジネス・ベンチマーク」はこの重要な問題に関する食品産業内での認識の向上に貢献し、ギャップや課題とともにリーダーシップやグッドプラクティスに光を当てるツールとしても働くものと信じている。
  • 我々は、必要に応じて、「畜産動物の福祉に関するビジネス・ベンチマーク」によって提供される情報を、投資先の食品企業の分析において考慮する。
  • 我々は、食品企業が「畜産動物の福祉に関するビジネス・ベンチマーク」を畜産動物の福祉の問題の管理を支援する実務的なツールとして、また報告のフレームワークとして使うことを推奨する。
  • 我々は、「畜産動物の福祉に関するビジネス・ベンチマーク」が長期の責任投資家のニーズと関心に関連するものであり続けるよう、その進化のために投資家からの情報を提供する。
  • 我々は他の投資家にもこの声明に署名するよう働きかける。

 出所:BBFAW Global Investor Statement on Farm Animal Welfareを筆者翻訳。
 

【関連コラム】
QUICK ESG研究所「【水口教授のヨーロッパ通信】工場的畜産のリスク - 動物愛護からESG課題へ」2016年5月23日(2018年7月31日情報取得)


QUICK ESG研究所 特別研究員 水口 剛