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「ステークホルダーを重視する企業は株価も高いというけれど、だからステークホルダーに配慮すべきと言うのなら、それは企業の『Purpose』を見直したことになるのか?」そう厳しく問う人がいる。ダボス会議によるステークホルダー資本主義の推奨で幕を開けた2020年は、新型コロナウイルスに翻弄されたまま幕を閉じることになった。2020年とはどういう年だったのか。そしてステークホルダー資本主義は根付いたのか。この大変だった1年を振り返り、その意味を考えてみたい。

1.コロナと中国とグリーンリカバリー

 時に、記憶に残る年というものがある。2015年はSDGsの採択とパリ協定の年。世界が未来に希望を見出した年だった。2016年はイギリスがEU離脱を決め、トランプ氏が大統領選に勝利した年である。2020年はそれらを上回る強烈な印象を残した。きっと多くの人や機関が「2020年の総括」のようなものを発表することだろう。誰が言うことも大差ないに違いないが、改めて確認しておこう。

 ESGの視点から重要と思われる2020年の出来事として、次の4つをあげたい。①新型コロナウイルス感染症の蔓延、②中国による香港国家安全維持法の制定、③グリーンリカバリーの進展、④IFRS財団によるサステナビリティ基準審議会の設置の提案である。

 新型コロナウイルス問題は「S」課題への注目を高めた。それは、健全な経済は健全な社会に支えられていることを、改めて印象付けた。同時に、私たちの社会が経済を基盤としていることも浮き彫りにした。コロナが蔓延すれば経済が回らない。経済が回らなくなれば、最も弱い立場の人々から職を失っていく。その意味で、それ以前から進んでいた経済的不平等の問題に焦点が当たった年でもあった。

 中国政府が「香港に三権分立はない」と明言したのも2020年だった(1)。ウイグル人の強制労働問題にも関心が集まった。ここでも人権という「S」が問題になる。民主主義と異なる政治体制の国は他にもあるが、世界第2位の経済大国である上、特に日本は地理的にも経済的にも結びつきが強いだけに、企業も投資家もいずれスタンスが問われることになるのではないか。

 グリーンリカバリーという考え方は欧州が先鞭をつけた。2019年末に公表したグリーンディールを基に、2020年には次々に具体的な施策を打ち出してきた。アメリカもバイデン氏が次期大統領となることで、同じ方向に動き出す。日本も菅首相が2050年に温室効果ガスの実質排出ゼロを目指すことを明言し、政策が大きく動き出した。ネットゼロに向けた産業転換の競争が誰の目にも明らかになった。2020年唯一の明るい話題と言ってよいだろう。

 これらの動きと比べれば、IFRS財団の提案はまだ小さな芽に過ぎない。この構想がどう展開するのかも、現時点では見通せない。だが、IFRS財団が名乗りを上げたことの意味は大きい。それは「サステナビリティ情報が開示のメインストリームに入ってきた」というシグナルだからである。これまで非財務情報開示をリードしてきたGRI、IIRC、SASB、CDP、CDSBの主要5団体が共同ステートメントを公表し、IIRCとSASBの合併が発表されるなど、開示分野が大きく動き出したのも2020年だった。

 以上の4つに共通するのは、環境と社会と経済の距離が縮まったということである。もはや他のことに目をつぶって株主利益だけを考えるわけにはいかない。そういう時代の転換点として記憶される年になっても不思議ではない。言い換えれば、ステークホルダー資本主義「元年」となるべき年ではなかったか。では実際はどうか。海外では、本当にステークホルダー資本主義なのかと問う声もある。次にその1つを紹介しよう。

2.ステークホルダー資本主義を問う

 アメリカのビジネスラウンドテーブルが「企業のPurpose(目的・存在意義)に関する声明」を公表し、すべてのステークホルダーへのコミットメントを表明したのは、2019年8月のことだった。それからちょうど1年後の2020年8月、政治的立場を異にするアメリカの3つのNPOが連名で、ビジネスラウンドテーブルに対する公開書簡を公表した。American Economic Liberties ProjectAmerican CompassAmerican Principles Projectの3団体である。

 彼らは、企業の真の責任という声明文のビジョンには惹かれるが、目に見える目標の設定や測定といった具体的なステップが取られていないと指摘する。そしてラウンドテーブルの真意は、単に株主価値という目的のために他のステークホルダーも考慮することのように見えるとして、優先順位を明確にすることを求めている。さらに、一般の人が企業のパフォーマンスを評価できるような指標を確立すべきだとして、具体的な指標の例を提案している。たとえば、

  • 連邦貧困ラインの少なくとも200%を下回る家族賃金しか得ていない従業員の数
  • 雇用の最初の5年間の賃金の伸び
  • 契約社員と一般従業員の比率
  • 家族のケアの責任を果たすために、再雇用されることを前提に職を離れる従業員の割合
  • 大都市圏以外での給与の伸び

などがあげられている。

 書簡の提案団体の1つであるAmerican Economic Liberties Projectのシニアフェローのデニス・ハーン(Denise Hearn)氏は、Responsible Investor誌に寄稿して次のように述べている(2)。

 ステークホルダー資本主義を推進すべき根拠として、最も「公正な企業」の指標で上位20%にランクされた企業の株価は下位20%をアウトパフォームするといった意見を聞くことがある。つまりステークホルダーを重視することで企業価値が上がるという主張だが、奇妙な論理ではないか。ステークホルダー資本主義の成功を投資家の利益の増加によって測ることは、ステークホルダー資本主義が解消しようとしたはずの株主第一主義のパラダイムをかえって強化することになるのではないか。

 このハーン氏の意見にあなたならどう応じるだろうか。以下は私見である。

 まず、ステークホルダー資本主義は株主利益を否定していない。実際、「E」の中でも気候変動の分野はビジネスと直結し始めている。「S」に関しても、たとえば少子化が進展する日本では、女性も含む多様な人に魅力的な職場を提供する企業ほど、優れた人材を集め、競争力が高まるという側面はあるだろう。だが、たしかにその種の論理だけでは、ステークホルダー資本主義として十分ではない。

 ハーン氏も、賃金の上昇が短期的にはコストとなっても、不平等よるシステミックリスクの軽減によって長期的により安定した収益をもたらすことは考える価値があると言う。その通りだろう。これを投資家の立場から言えば、ユニバーサルオーナーの視点ということになる。幅広い企業に投資するユニバーサルオーナーにとっては、安定した社会という経済活動の基盤を守ることが、結局は投資の価値を守ることになる。ステークホルダー資本主義が株主利益を否定しないとは、そのような意味においてではないか。

 ただし本当にそのような効果が出るためには、実際にシステミックリスクの軽減というインパクトがなければならない。リスクとリターンという投資の判断基準にインパクトという第3の軸を加えるということは、どれもそこそこでよいので楽になるのではなく、それぞれの成果が厳しく問われると考えるべきだろう(3)。

 そのような考え方は簡単には浸透しないし、価値観の転換はすぐには起きないだろう。だが、21世紀全体を通じて少しずつ価値観が変化していく可能性はある。2020年がその起点の年となることを期待したい。

(注)

(1)各種報道によれば、2020年9月7日、中国で香港政策を担当する国務院香港マカオ事務弁公室が「香港に三権分立が存在したことはない」との談話を発表し、香港の林鄭月娥行政長官の「香港に三権分立はない」とする発言を中央政府が補強した形となったという。
(参考)時事通信(2020年9月8日)「香港に『三権分立ない』中国

(2)Denise Hearn, ‘The Strange Success Logic of Stakeholder Capitalism’ Responsible Investor誌(2020年8月25日)

(3)この記述は、2020年9月24日に日本証券業協会のセミナーで講演された氷見野良三金融庁長官の講演録「資本市場行政の課題と当面の対応」の中の、次の発言を参考にさせて頂いた。「三方良しも、ステークホルダー資本主義も、ソフトでやさしく耳障りがいいが、実際には単純な株主資本主義よりも厳しいものである可能性には留意する必要があると思う。念頭に置いているのが、「売り手よし」も「買い手良し」も「世間良し」もほどほどでOKで、ROEもほどほど、顧客本位もほどほど、気候変動対応もほどほどで済むステークホルダー資本主義なのか、それぞれが一つずつ厳しく問われるステークホルダー資本主義なのかはよく考える必要がある。」

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QUICK ESG研究所 特別研究員 水口 剛